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生誕50周年記念回顧ツーリング<中原街道より港区、中央区へ> -後篇-

2013年 07月01日 12:41 (月)

第一京浜の日比谷通りとの交差点は、ほとんどの目にはT字路として捉えられていることだろう。
そのTの頭を突き抜ける小道を行くと我が生家のあった一画がすぐに現れる。
とうとう懐かしいわが生家のあった一角へとやってきた。

当時から残っているものと言えば、最初に見えるこの鹿島神社くらいのものだ。
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しかし鳥居や囲いを見て判るように近年大幅なリニューアルがされているようで、当時を偲ばすものはというと
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この狛犬と向こうに見える水を溜めてある錆びた樽くらいであろう。

神社の正面側つまり東海道線の線路側から見て右隣の一画には、当時確か平屋が数件軒あり、
そのそれらに隣接して以前は父の会社の店だった2階建てがあり、そこに我ら家族が住んでいた。
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神社側から見るとこの広場のちょうど真ん中あたりに建っていた筈で、手前と右側には平屋の住宅があり、
奥に見える建物の所には確かこれと同じような高さの建物に雀荘とかが入っていたような記憶がある。
更にその先に木で隠れているのがここ10年くらいの間に建った高層の都営住宅で、
この一帯はその建設に合わせてこのような公園に生まれ変わったものと思われる。

公園と言えば神社の正面の通りを隔てた反対側、つまり線路との間に私が小学校入学頃に出来たのが本芝公園だ。
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当時あった遊具などは恐らく上記の時期にすべてリニューアルされたらしく、完全な児童公園から大人もくつろげる雰囲気に変わっている。
この公園は北野武の1989年初監督作品である「その男凶暴につき」の冒頭のシーンで使われており、
確か薄暗い時間帯での殺しのシーンでだったが、遊具と後ろを通る電車を見てすぐに本芝公園だと判った。

ここが公園となる以前、物心ついた最初の記憶を辿ると、ここは上の写真の車止めの先にある鉄道の下を潜る通路のところから芝浦側とつながる運河になっていて、
この公園だったところに小型の漁師の船が係留されていた姿をおぼろげながら覚えている。
運河が公園へ1年やそこらで簡単に変わるはずはないので、当然その間の状態も数年あったのだろう。
なんとなく覚えているのは前の記事に記したとおり、運河を埋めて造成する前に湿地帯のようになって、
若干残った水と緑に育まれた糸トンボが大量に発生した年があり、虫は苦手な私でも簡単に捕まえられたこと。
そしてその頃には鉄道の下を歩いて潜り抜けられるようになり、一面原っぱのような芝浦の風景も記憶にある。
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今やその芝浦もこんな感じだが、モノレールは1964年開通なので、その頃には既に通っていたことになる。

芝浦でもうひとつ思い出されるのは、本芝公園が出来て近所の子供たちが集うようになった小学1年かその前頃、
仕切り役だった6年生くらいの子の呼びかけで野球チームを作ることになり、私も召集されたのだ。
母方の親戚にスポーツ用品店がいたので、そこで巨人のユニホームをしつらえ、背番号は柴田の7番!
そして初めての練習試合か何かでセンターに置かれたのはいいが、親譲りの運動オンチで経験もゼロ。
そこへ飛んできたセンターフライは見事に顔面に命中!
大泣きで上級生におぶられて帰宅。
それ以来そのチームで野球することなく、ユニホームもお飾りで終わってしまいましたとさ。
確かそんなことがあったグラウンドが、本芝公園から鉄道を潜り抜けてすぐの所だったので現在は・・・
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この通りで左にモノレールがちらっと写っているが、その下あたりがセンターの位置だったのではなかろうか。

やはりその地に立てば幼少の思い出はいろいろと尽きないが、先へと進むことにした。
次に竹芝口の方にあった筈の、当時自家中毒と呼ばれた症状でよく母におぶられて行った馬場医院がないのを確認。
実はここまでの場所の様子はそれぞれ前に軽く通過したりしてある程度知っていたことの再確認だったが、
次は地図上現存する以外の情報なしの幼稚園を見に行くのだ。
表通りから踏み入るこの商店街が先ず感慨深い。
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生家の一帯には駄菓子屋があった程度だったので、母に手を引かれ日々の食材などの買い物に来ていたのはここ。
映画「3丁目の夕日」で出てくる街並みを見ると、いつもこの商店街の光景が思い浮かぶ。
だがさすがに当時を偲ばせるような店構えは残っていなさそう。
何か懐かしさを求めて見回しながら進んでいくと、間もなく左の奥に見覚えのありそうな一角が見えてきた。
その先の路地を曲がると
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リニューアルの湯気さえ感じられるお寺の門と並んで幼稚園らしい入口が。
表札の石にみなと幼稚園と掘られているのだが、ほとんど読み取り辛い。
そして中へと入ってみる。
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当時はこんな立派な鉄筋コンクリートではなく木造だった筈だが、
校舎や園庭の位置関係は変わっていないし、何より嬉しかったのが「もりぐみ、はなぐみ」というクラス名称がそのままだったこと。
そして元々お寺の幼稚園だったので、敷地内にこんなお堂もあり
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花まつりの日にはこの扉が開いて、園児全員でお釈迦さまに甘茶をかけるみたいな行事もなんとなく覚えている。
そして卒園後何年後だったか、このお寺でミイラが出土されたというようなニュースがあったのを記憶してるが、
ググってみても出てこなかった。

幼稚園を出て再び商店街をうろうろし、そろそろどこかでひと休み・・・
いやいや大事な所を忘れてました。我が生を受けし病院がまだだったではないか。
当時通ったであろう路地裏などを経由しながら赤羽橋の方へと進む。
斉生会病院の表側にはあまりにも近代的過ぎるガラス貼りの高いビルが出来ていて当時と大きく変わっているが、
裏側にかつてのそれよりはまだイメージに近い建物が残っていたのでそちらを思い出の一枚に採用!
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さて、生誕の地を確認し、これで幼少の思い出の地巡りは終りとしよう。
とりあえず当時よく遊びに来た芝公園方面に進もうかというところで尿意を催した。
適当にトイレがあればと走って行って結局辿り着いたのはこちらっ。
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実は10年間お膝元に暮らしながら、その間東京タワーには一度も入ったことがなかった。
当然そんなエピソードと共にその後の数十年のうちに何度か登っているので今さら見るつもりはないが、せっかくだからこの一大観光地でトイレだけ借りてやろうではないか。
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足元にチャリを置きにいくとこんな車たちが並んでいた。
写真では一番奥の初音ミク以外何のキャラかも判らんが、これがギョーカイで言うイタ車ってやつですな。
ここでのイタはイタリアではなく「ここまでやんのってちょっとイタくね?!」の方の意味だ。
この奥にチャリを停めてタワーの建物内に入る。
1Fはチケット売り場以外はほぼ何もない感じで、展望待ちの観光客と誘導の係員以外の人も居ないようだ。
トイレを探すべく見回すと多目的トイレだけがあったのでそこで用を足すとすぐにタワーはさよなら。

とにかくどこかで落ち着きたいし、昼飯にしても良いが時間はまだ11時になろうかというところ。
ともかく飯の場所を決めよう!
ん~と、ここからなら・・・ 築地!!

全くチャリってヤツは便利だ。
ここからたった3Km程度の築地もし電車で移動なら乗り換え込みで5駅は乗らなければならないし、
車だったら駐車場が気になってちょこちょこ寄り道も出来やしない。
都心部でしかもこの海寄りの一帯には勾配もほとんどないのでチャリが最強~♪
なんて調子に乗ってさしかかった汐留JCTの交差点には横断歩道がなく、やむなく歩道橋へライドオン!
ちゃんとスロープ付きだったので問題なくすぐに人ごみの築地に到着!

さて、まだ11時になったばかりなので、とにかくじっくり店を選ぼう。
結局海鮮系のどんぶりを食べるとして、あとはいくら出すかってことだが500円から2000円超までピンキリ。
ひと回りしたところで名物の玉子焼きが目につき、1本100円の安さだったので前菜として頂くことにした。
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この向かいにちょうど休憩所があったので、缶コーヒーも買ってひと休み。
これまで写した画像のチェックをしてFacebookに何枚かUPしてみたり。
どこかの喫茶店でやるべきことが先に済んでしまったので、飯の場所は食えりゃどこでもいいや。
と更に一周した結果、値段が底値に近い割にはバリエーションもあるが、食べる場所が人通りの多い曲がり角で晒しもん、というこの店で中落ち丼680円味噌汁付をいただくことにした。
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普通にマイウ~なのでありました。

さてもうするべきことは終わったし早めに帰ろうか、でも同じ道を戻ると歩道橋になるから銀座でも寄ってこか。
と進みかけて、そういえばここのリニューアルもチェックしなきゃ!
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ということで歌舞伎座を撮影。

そして銀座の象徴とも言える場所に乗り込んだ我が愛車!
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日本一地価の高いビルと日本一安いとは言わないまでも相当チープな庶民の足とのコラボレーション!

しかしながら、銀座とこの庶民はあながち縁遠いこともないのでありました。
当時の我が家は食材こそ先述の商店街で購入しておりましたが、近くにショッピングセンターなどない時代。
衣料品や雑貨、子供のおもちゃを買うにしたって、田町から一番近い百貨店は銀座の松屋や松坂屋。
休日に母に連れられて銀座のデパートでお買い物。
屋上で遊んでレストランでお子様ランチなんてことも普通にやってました。
そう考えると今回ここに寄った意義も大いにあったと言えるでしょう。

まあデパート巡りをしてもしょうがないので、自分にお土産でもと山野楽器でCDでも物色することに。
でも、どうも最近チャリに乗るようになってから、それ以前はいつでもあった「あれが聴きたい」
という音楽を追及する欲求がかなりトーンダウンしているみたい。
オルガン系のJAZZものを暫し漁るもこれという候補が上がらず、結局そのまま帰ることにした。

国道15号から田町駅前で右折。慶應の前へ出て国道1号に合流し、五反田、そして中原街道へ。
行きと反対の歩道も同じように走り易く、ノンストップで一気に丸子橋へ。
橋上の景色は歩行者と自転車の特権。行きとは反対側の景色も暫し楽しむ。
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その後新丸子の先のよく立ち寄るセブンイレブンで恒例のアイスをいただき、行きとほぼ同じコースで我が家を目指す。
ここまで来れば安心の筈の早渕川へ出た時に雨が降り出した。
え~そんな予報なかったのに・・
センター北の陸橋の下で雨宿りしながら、仕事の電話を数件済ます。
空は晴れ間もあるのになかなか止まないので、残り7kmほどを濡れながら橋って16時頃帰宅。

総走行距離は72km程度なので走りについては余裕でした。
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