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生誕50周年記念回顧ツーリング<中原街道より港区、中央区へ> -前篇-

2013年 06月24日 12:39 (月)

プレトレ購入から2か月が過ぎ、これまでいろいろ走ってきましたが、よく考えると県内か多摩地区のみ。
都心部への進出というのがまだなかった。
よく出かける都心というと渋谷か新宿。殊更我が家から渋谷へだったら距離的にも横浜の中心部より近いのだし、何故なかなか踏み切らなかったのか。
それはまずひとつ、渋谷にチャリで行ってどうするんだ?!
渋谷と言えばいつもCD漁りか楽器屋覗き。たまに映画とかで行く感じ。
どこかの駐輪場入れてぶらぶら歩き回るのも変だし、チャリで乗り歩いてその辺に停めてイタズラとかされたり…
つまりどうもチャリで行ってどうするのイメージが湧かないのである。
もうひとつは単純に多摩川越えの後の河岸段丘登りが辛そうで、楽にあの坂をクリアするアイディアがない。

しかしこの週末を前に、この2つの要因を解消するプランが一気に出来上がってしまった。
それは、我が生誕の地港区芝の生家跡や幼稚園や学校を回って写真に収めようという考え。
そしてその方向なら中原街道を通ればコースも大した勾配がないのがほとんど想像もつく。
いつ行くの?については、ちょうど人生半世紀を記念して50歳のうちに行くのが節目として良いだろう。

そんなこんなで迎えた週末は土日共休めそうだったが、日曜は娘の用事に付き合うよう要請があった。
都心部を走るなら断然日曜の方が車も通行人も少なくて良いから、またの機会にして土曜は多摩川への最短ルートを決める日にしようか。
でも来週以降週末の予定が多く、その先は真夏となると都会をチャリでは走りたくないので秋まで延期??
朝6時半に家を出ても、まだ行く先に迷ったままだった。
とにかく早渕川沿いまでは同じなので、そこに出るまでに右か左か決めよう。
結局そこへ出ると走り慣れた右方面へ自然と足が向いたのでこのまま都内を目指してしまうのか。
その時不意に閃いたのは「あれっ今日ってちょうど誕生日から半年!?」
これで明日でもその先でもない今日生誕の地を訪れる動機が一気に固まり、途中までは通り慣れた早渕川沿いを突き進むべくペダルに力が入った。

しかし、そんな矢先に足止めをするものがあった。
道の真ん中に見たようなシルエットが・・・あっ亀が歩いてる!
DSCF1514.jpg

自転車専用ならさほど気にしないが、ここは車道なので心ない車でもカッ飛んできたらどうしよう。
側にチャリを停めると、逆に怯えて殻に閉じこもってしまった。
そしてそこへ車が1台来てしまったので、上手く踏まないように身振りで伝えて通過させた。
するとその直後亀は慌てて頭と手足を出しで川の方へ疾走!
道の渕はそのまま直角に近い角度で川の擁壁になっていて、亀の甲羅は真ん中で折れ曲がる訳はないので・・・
甲羅の重心が外に移るとそのまま擁壁をズルズルズル~
その下がコンクリの地面でなくて川の水で良かった。
見事にウォータースライダーの如くバシャーン!!
と派手な水しぶきを上げて川の中へ飛び込んで行きましたとさ。
うわ~動画で撮影すれば良かった。

それにしてもいきなり面白いものを見てしまった。
その先でも早朝の川沿いだから普段と違う何かに出会えるかも、
と先を急がず辺りを注意しながら下っていきました。
な訳で朝の早渕川の写真も一枚。
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勝田橋で中原街道に出てしばらくそのまま東へ。
この辺りはここ数年で道をまっすぐ幅広く直していて、勾配もそれほどではなく走り易い。
旧態依然で細くなる久末から裏道に入り有馬川に沿って探りながら進む。
川と離れたり、すれ違えないくらい細い所など、短い間でいろいろありながら尻手黒川道路の五反田橋へ。
朝食がまだだったので朝マックで得意のホットドックセットをいただく。

子母口の交差点から迷路のような住宅街を抜けて武蔵小杉方面へ。
この一帯は網目のようにたくさんの道が、いろんな方向を向いて通っているため最短距離で斜めに抜けるにはルート設定がめちゃめちゃ困難なので、勘と思いつきで曲がりながら御殿町交差点を目指す。
新丸子周辺はバンドのリハスタジオもあるのですっかりお馴染み。
適当にジグザグしながら中原街道へ出て、東横線のガードをくぐり綱島海道との交差点へ。
ここからゆったり広い歩道が始まり、まっすぐ丸子橋の上へ。
車でチラ見までだった橋上からの景色はやはり写真に収めねばなるまい。
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多摩川でこんなアユ釣りの光景が見られるなんて幼少時代からは想像できなかったことだろう。
そして近年東横線と目黒線、それぞれに地下鉄やその先の私鉄と相互乗り入れが複雑に入り乱れるようになり、
いろんな色の車両が行き交う風景もここならでは。今日の撮り鉄ポイントもここにしよう。
DSCF1527.jpg

さあここからが本番!
チャリで東京都23区に初めて突入することになるのだ。
川を渡れば登るのは必然だが、予想通りここの勾配はやさしかった。
しかも歩道が歩行者用、自転車用に白線で仕切られるくらいに余裕があるのが嬉しい。
排気ガスにまみれて車道をおっかなびっくり進むよりも、街路樹で多少ガスも緩和され時々日陰も出来る。
そして更に親切なことに、交差点の歩道の切れ目の段差もほぼ平らに仕上げてあるのだ。
これなら歩道をずっと進む方が全然快適だ。
う~ん中原街道大田区内は100点満点と言ってもよかろう。

環八を越えてからもまだUpDownが続くのは予想外だったが、それも普通に走れるレベルで問題なし。
朝の陽ざしが段々強くなる中、雪が谷大塚、石川台を通過し次なるポイント洗足池に到着。
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この前を車で何度も通過しながらチラ見してたので一度ゆっくり池の周りを見てみたかった。
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ジョギングや散歩する人達が多く、まさに都会のオアシスといった感じ。

さすがに見かける生き物に珍しさはないが、それでも撮りようによっては・・・
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今日の生き物シリーズはこれが撮れたからもう十分!

一周の終わりの辺りにはこんな風景も
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妙福寺の敷地は僅かだったが一瞬都会の喧騒を忘れられる佇まいでした。

癒しの空間を離れ再び街道を都へと進む。
環七を越えるとすぐに荏原の首都高入口が見えて第2京浜と合流。
いよいよ都心部らしく通行人も増えてきたので、この辺から車道へ降りる。
山手通りを越えると五反田駅のガードまで道幅も余裕の下り坂。30km超で一気に潜り抜ける!
その先は反動で当然登りなのだが、これが予想以上に長かった。
立ち漕ぎするほどではなかったが、1段でコツコツ耐え忍んだ時間の長さで今日一に認定!
登りきった高輪台を右折し、第1と第2京浜の間の道を三田方面へ。
その道の終りの辺りにわが母校南海小学校の跡地がある。
跡地と言っても校舎は残っていて、現在は東京インターナショナルスクールが間借りしているような形。
学校の裏口のあるこの通りで遊んだ記憶もあって、当時からあったマンションが目についたので先ずはそこから。

自転車置き場から見えた校舎も懐かしかったが
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更に奥の方にプールが見えたのはそれ以上にこみ上げるものがあった。
DSCF1547.jpg

南海小学校というくらいで海辺から近かったからだろうか水泳の教育がかなり熱心で、
水泳帽に10m泳げたら1本みたいな感じでラインを貼って、上手な人ほど赤い線がいっぱいなんてことをしてた。
親譲りの運動音痴系ながら、埼玉へ引っ越す小学3年生までの間に、どうにか25mまで泳げるようになった。
埼玉の学校に転校すると、プールが出来て間がなかったらしく泳げる人があまりいなかったため、
どちらかというと駄目組だったのが急転出来る子扱いされて、市の水泳記録会の選手に選ばれたり・・
なんて思い出をこのプールで喘ぎながら作ったんだなあ。

それでは表に回って校舎の変貌振りをよく見てみよう。と札の辻側へ回り込む。
実は去年、正門側のすぐ近くに今努める会社の営業所が移転して来て、数回訪れながら遠目には見ていた。
小学校の校舎をそのまま塗り替えて使っている様子までは伺い知れたが、実際中はどうなっているのか。
入口の木の門が少し開いていたのでチャリを置いて入ってみた。
DSCF1550.jpg

校門からの桜のトンネルのこの感じ。
DSCF1551.jpg

いつも下校時間に掛っていた当時は曲名も知らなかったがサンサースの白鳥のメロディが思わず頭に浮かぶ~♪

恐らく40年前から建替えられたであろう鉄筋の校舎に2000年の廃校後に塗られた、公立校にはあり得ない色彩!
追憶を阻害されそうだが、校舎と校庭の位置は変わらないのでかつてここに通った幼い自分の記憶を辿ってみる。
通路の横に、南海小学校とその前身を含めたこの小学校の歴史を刻んだ記念碑があった。
DSCF1552.jpg

開校当時の校舎の写真と、当時の周辺の地図、そしてその変遷について記述されていたので写真で保存しよう。
そもそも最初にこの地にあったのが聖坂尋常小学校で、第2次大戦の後南海小となり2000年に廃校という経歴が
この碑に記されていて、当時の地図には我が生家の場所も含まれているのが嬉しい。
DSCF1556.jpg

更に奥へと進み校庭の写真を1枚撮影したところでここの職員らしき女性に声を掛けられた。
「写真撮らせてもらっていいですか?」と尋ねると
「私たちも間借りしている形なので良いとは言えません」と。
すごすごと退出するしかなかったが、既に必要な写真は揃っていたあとだった。

小学校から我が家までの通学路は、札の辻の交差点を歩道橋で渡り、第一京浜を真っ直ぐ田町駅前を通過。
かつて三田警察あった場所は安全技術館となり、第一勧銀はりそな銀行に看板が替っている。
立体の通路で国道を渡れるようになった駅前、物心ついた頃にはビルが出来ていた森永と三菱の本拠地を通過。
その先の路地を右に曲がった所に我が生まれ育った家があった場所がある。

その現在の様子と周辺その他については次の記事へつづく!
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